日之出化学工業株式会社

「ようりん」のトップメーカーとして半世紀

一貫してわが国農業の発展に貢献!

 

☆会社概況☆

・創立      昭和24年(1949年)11月17日

・資本金     3億円

・年間売上高   約20億円

・主要製品    ようりん・粒状ようりん、BMようりん・粒状BMようりん、

混合肥料、化成肥料、高けい酸質肥料「とれ太郎」、弗化物

・代表取締役社長 秋元 久雄

・従業員数    約50名

 

☆会社沿革☆

弊社は戦後間もない昭和24年11月、りん酸質肥料の一種である「熔成燐肥(ようりん)」の生産・販売を目的として設立されました。当時わが国は極端な食糧不足に苦しんでおり、新たな製法によるりん酸質肥料の開発が急務でしたが、弊社は苦心の末に開発した技術により、わが国最初のようりんメーカーとして、旧海軍工廠の跡地を利用する形で京都府舞鶴市に産声をあげたわけです。ようりんの主原料は燐鉱石ですが、舞鶴は天然の良港に恵まれ、燐鉱石の輸入に有利であり、当時数カ所あった工場建設の候補地の中で最も優れているとの結論に達し、当地が選ばれました。

操業開始後、ようりん事業は順調に拡大し、新たな製造方法の開発や製造能力のアップ等を実施し、需要の増大に対応しておりましたが、昭和33年ごろより肥料業界全体が不況に転じ、中でもようりんについては新規メーカーの参入もあり市況が著しく悪化しました。弊社もようりんだけでは経営を維持することが難しくなり、小型鋼塊の製造等新規事業に取り組みましたが、思うような成果は上がらず昭和40年ごろまで長い苦難の時代が続きました。

こうした苦境を打破すべく、昭和40年代に入り、三井系総合化学メーカーであるデンカ株式会社が弊社の経営を担当して再建をはかることとなり、ようりん販売業務の全面委託等、以降は「デンカグループ」の肥料会社として抜本的な経営合理化が強力に推進され、業績は回復の兆しを見せ始めました。ようりん需要も、折からの政府の米増産政策により大幅な伸びを示し、昭和43年には北海道苫小牧市に新たなようりん工場を建設、昭和45年には企業拡大のため舞鶴工場にてフェロニッケル製造設備を新設するに至り、会社は創業以来の活況を呈しました。

しかし、昭和50年代に入ると弊社をとりまく環境は再び悪化の方向に転じました。フェロニッケルの生産はステンレス業界の不況により昭和53年に休止を余儀なくされ、また、本業のようりんの生産も、米の作りすぎによる生産調整の実施により昭和52年度の年産16万トンをピークに減少に転じ、業界に先駆けてようりんの粒状化を実現する等の経営努力にもかかわらず、昭和57年度には年産10万トンを割り込みました。こうした事態を受け、再び徹底した合理化に着手いたしましたが、その後もようりん需要は一向に下げ止まる気配をみせず、平成5年には約25年間続いた苫小牧工場での生産を休止し、舞鶴工場集中生産体制となり、現在に至っております。尚、旧苫小牧工場は、生産休止以降、弊社製品の北海道における物流拠点として運用されており、現在では「北海道配送センター」として一部外部ユーザーからもご利用頂いております。

現在、わが国の農業環境は、減反の大幅積み増しや、農家の担い手不足、安価な輸入農作物の流入等大変厳しい状況が続いており、当社のようりんの年産量も5万トンを切る水準にまで落ち込んでおりますが、ようりんは、りん酸・けい酸・苦土・石灰等の作物の生育に必要な要素をバランス良く含んでおり、作物の良質多収穫食味向上に欠かせない土づくり肥料です。また、水には溶けず作物の根から出る根酸土壌中のうすい酸に溶けるので、他に流亡せず成分が作物に効率良く吸収されるほか、その製法から、現在使用されている無機質のりん酸質肥料の中で唯一「有機農産物適合資材」の認定を受けており、安全で大変環境にやさしい肥料としてご評価を頂いております。さらに、「けい酸」の吸収性を著しく高め、稲の倒伏防止食味向上に一段と効果があり、施肥量が少なく省力化に役立つ画期的な新規肥料「とれ太郎」を開発し、現在その普及に鋭意努力いたしております。

企業環境は一段と厳しくなってきておりますが、今後ともこれまで培ってきた伝統ある技術を活かし、「ようりん」のトップメーカーとして農家の皆様のニーズにお応えできるよう新規肥料の開発や更なる技術改善に邁進していく所存です。

 

☆組織☆

本社・舞鶴工場
北海道配送センター
肥料営業部・支店


住所:京都府舞鶴市字倉谷660番地

商品に関するお問い合わせ先 
電話:03−3507−5252(デンカ潟Aグリプロダクツ部)